有岡城

別名 伊丹城 付近住所 伊丹市伊丹1 現在 JR伊丹駅前
2004/10/14 碑・案内板アリ 日本城郭大系


伊丹氏→
荒木氏→
池田氏

伊丹氏がこの場所に城を築いたのは、鎌倉時代末期頃のことである。はじめは居館として建てられたが、戦国時代を経て次第に堅固な構えになっていった。伊丹氏の城は、天正2年(1574)織田信長方の武将荒木村重の攻撃によって落城した。その後村重は信長の命により有岡城と改名し、壮大な城を築いた。有岡城は伊丹段丘の高低差を利用し、南北1.6km・東西800mに及ぶ惣構えが築かれ、要所には岸の砦・上臈塚砦・鵯塚砦が配置された。謀叛を起した村重は、天正6年、信長勢の攻撃を受け、10ヶ月間の攻防の末、強固な城も遂に落城した。天正8年、池田之助が城主となるが、同11年美濃の国に転封を命ぜられ、廃城となった。明治26年、鉄道の開通によって、城跡の東側が削り取られたが、土塁や堀など今もよくその姿をとどめている。昭和50年より発掘調査が実施され、土塁・石垣・堀・建物・池等の遺構を検出し、中世城郭から近世城郭への移行期の様相が明らかになった。

 有岡城跡碑

本丸

 縄張図